「春と修羅」他

春と修羅 真空溶媒 小岩井農場 グランド電柱 東岩手火山
無声慟哭 オホーツク挽歌 8 9 10

春と修羅

わたしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともしつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりをひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへせまうが
それらもこゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変わらないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それの色々の論料といつしよに
(因果の時空的制約とともに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいに無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
     大正十三年一月廿日  宮沢賢治

屈折率

七ツ森のこつちのひとつが
水の中よりもつと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
  (またアラツディン 洋燈とり)
急がなければならないのか
    (一九二二、一、六)

くらかけの雪

たよりになるのは
くらかけつづきの雪ばかり
野はらもはやしも
ぽしやぽしやしたり黝んだりして
すこしもあてにならないので
ほんたうにそんな酵母のふうの
朧ろなふぶきですけれども
ほのかなのぞみを送るのは
くらかけ山の雪ばかり
  (ひとつの古風な信仰です)
   (一九二二、一、六)

日輪と太市

日は今日は小さな天の銀盤で
雪がその面を
どんどん侵してかけてゐる
吹雪も光りだしたので
太市は毛糸の赤いズボンをはいた
   (一九二二、一、九)

丘の眩惑

ひとかけづつきれいにひかりながら
そらから雪がしづんでくる
電しんばしらの影や藍靛や
ぎらぎらの丘の照りかへし

  あすこの農夫の合羽のはじが
  どこかの風に鋭く截りとられて来たことは
  一千八百十年代の
  佐野喜の木版に相当する

野はらのはてのシベリヤの天末
土耳古玉製玲瓏のつぎ目も光り
   (お日さまは
    そらの遠くで白い火を
    どしどしお焚きなさいます)

笹の雪が
燃え落ちる 燃え落ちる
   (一九二二、一、一二)

カーバイト倉庫

まちなみのなつかしい灯とおもつて
いそいでわたくしは雪と蛇紋岩との
山峡をでてきましたのに
これはカーバイト倉庫の軒
すきとほつてつめたい電燈です
   (薄明どきのみぞれにぬれたのだから
    巻烟草に一本火をつけるがいい)
これらなつかしさの擦過は
寒さからだけ来たのでなく
またさびしいためからだけでもない
   (一九二二、一、一二)

コバルト山地

コバルト山地の氷霧のなかで
あやしい朝の火が燃えてゐます
毛無森のきり跡あたりの見当です
たしかにせいしんてきの白い火が
水より強くどしどしどしどし燃えてゐます
   (一九二二、一、二二)

ぬすびと

コバルトさんちの氷霧のなかで
青じろい骸骨星座のよあけがた
凍えた泥の乱発射をわたり
店さきにひとつ置かれた
堤婆のかめをぬすんだもの
にはかにその長く黒い脚をやめ
二つの耳に二つの手をあて
電線のオルゴールを聴く
   (一九二二、三、二)

恋と病熱

コバルトさんちの氷霧のなかで
けふはぼくのたましひは疾み
烏さへ正視がができない
 あいつはちやうどいまごろから
 つめたい青銅の病室で
 透明薔薇の火に燃やされる
ほうたうに けれども妹よ
けふはぼくもあんまりひどいから
やなぎの花もとらない
   (一九二三、三,二〇)

春と修羅
   (mental sketch modified)

心象のはひいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐植の湿地
いちめんのいちめんの諂曲模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
砕ける雲の眼路をかぎり
 れいろうの天の海には
 聖玻璃の風が行き交ひ
  ZYPRESSEN 春のいちれつ
   くろぐろと光素を吸ひ
    その暗い脚並からは
     天山の雪の稜さへひかるのに
     (かげろふの波と白い偏光)
     まことのことばはうしなはれ
    雪はちぎれてそらをとぶ
   ああかがやきの四月の底を
  はぎしり燃えてゆききする
 おれはひとりの修羅なのだ
(玉髄の雲がながれて
 どこで啼くその春の鳥)
 日輪青くかげろへば
   修羅は樹林に交響し
    陥りくらむ天の椀から
     黒い木の群落が延び
      その枝はかなしくしげり
      すべて二重の風景を
     喪神の森の梢から
    ひらめいてとびたつからす
    (気層いよいよすみわたり
     ひのきもしんと天に立つころ)
草地の黄金をすぎてくるもの
ことなくひとのかたちのもの
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに
(かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しづかにゆすれ
鳥はまた青ぞらを截る
(まことのことばはここになく
 修羅のなみだはつちにふる)

あたらしくそらに息つけば
ほの白く肺はちぢまり
(このからだそらのみぢんにちらばれ)
いてふのこずゑまたひかり
ZYPRESSEN いよいよ黒く
雲の火ばなは降りそそぐ
   (一九二二、四、八)

春光呪咀

いつたいそいつはなんのざまだ
どういふことかわかつてゐるか
髪がくろくてながく
しんとくちをつぐむ
ただそれつきりのことだ
  春は草穂に呆け
  うつくしさは消えるぞ
    (ここは蒼ふろくてがらんとしたもんだ)
頬がうすあかく瞳の茶いろ
ただそれつきりのことだ
       (おおこのにがさ青さつめたさ)
   (一九二二、四、一〇)

有 明

起伏の雪は
あかるい桃の漿をそそがれ
青ぞらにとけのこる月は
やさしく天に咽喉を鳴らし
もいちど散乱のひかりを呑む
  (波羅僧羯諦 菩提 薩婆訶)
   (一九二二、四、一三)

ひかりの澱
三角ばたけのうしろ
かれ草層の上で
わたくしの見ましたのは
顔いつぱいに赤い点うち
硝子様鋼青のことばをつかつて
しきりに歪み合ひながら
何か相談をやつてゐた
三人の妖女たちです
   (一九二二、四、二〇)

陽ざしとかれくさ

    どこからかチーゼルが刺し
    光パラフヰンの 蒼いもや
    わをかく わを描く からす
    鳥の軋り・・・・・・からす器械・・・・・・
(これはかはりますか)
(かはります)
(これはかはりますか)
(かはりますか)
(これはどうですか)
(かはりません)
(そんなら おい ここに
 雲の棘をもつて来い はやく)
(いゝえ かはります かはります)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・刺し
     光パラフヰンの蒼いもや
     わをかく わを描く からす
     からすの軋り・・・・・・からす機関
   (一九二二、五,一〇)

雲の信号

あゝいゝな せいせいするな
風吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり
岩頸だつて岩鐘だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
  そのとき雲の信号は
  もう青白い春の
  禁慾のそら高く掲げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる
   (一九二二、四、二三)

風 景

雲はたよりないカルボン酸
さくらは咲いて日にひかり
また風が来てくさを吹けば
截られたたらの木もふるふ
 さつきはすなつちに厩肥をまぶし
   (いま青ガラスの模型の底になつてゐる)
ひばりのダムダム弾がいきなりそらを飛びだせば
  風は青い喪神をふき
  黄金の草 ゆするゆする
    雲はたよりないカルボン酸
    さくらが日に光るのはゐなか風だ
   (一九二二、五、一二)

習 作

キンキン光る
西班尼製です
(つめくさ つめくさ)
こんな舶来の草地でなら
黒砂糖のやうな甘つたるい声で着てもいい
と ┃ また鞭をもち赤い上着を着てもいい
ら ┃ ふくふくしてあたたかだ
よ ┃ 野ばらが咲いてゐる 白い花
と ┃ 秋には熟したいちごにもなり
す ┃ 硝子のやうな実にもなる野ばらの花だ
れ ┃  立ちどまりたいが立ちどまらない
ば ┃ とにかく花が白くて足なが蜂のかたちなのだ
そ ┃ みきは黒くて黒檀まがひ
の ┃  (あたまの奥のキンキン光つて痛いもや)
手 ┃ このやぶはずゐぶんよく据ゑつけられてゐると
か ┃ かんがへたのはすぐこの上だ
ら ┃ じつさい岩のやうに
こ ┃ 船のやうに
と ┃ 据ゑつけられてゐたのだから
り ┃ ・・・・・仕方ない
は ┃ ほうこの麦の間に何を捲いたんだ
そ ┃ すぎなだ
ら ┃ すぎなを麦の間作ですか
へ ┃ 柘植さんが
と ┃ ひやかしに云つてゐるやうな
ん ┃ そんな口調がちやんとひとり
で ┃ 私の中に棲んでゐる
行 ┃ 和賀の混んだ松並木のときだつて
く ┃ さうだ
   (一九二二、五、一四)

休 息

そのきらびやかな空間の
上部にはきんぽうげが咲き
 (上等のbutter-cupですが
  牛酪よりは硫黄と蜜とです)
下にはつめくさや斧がある
ぶりき細工のとんびが飛び
雨はぱちぱち鳴つてゐる
 (よしきりはなく なく
  それにぐみの木だつてあるのだ)
からだを草に投げだせば
雲には白いとこも黒いとこもあつて
みんなぎらぎら湧いてゐる
帽子をとつて投げつければ黒いきのこしやつぽ
ふんぞりかへればあたまはどての向ふに行く
あくびをすれば
そらにも悪魔がでて来てひかる
 このかれくさはやはらかだ
 もう極上のクツションだ
雲はみんなむしられて
青ぞらは巨きな網の目になつた
それが底びかりする鉱物板だ
 よしきりはひつきりなしにやり
 ひでりはパチパチ降つてくる
   (一九二二、五、一四)

おきなぐさ

風はそらを吹き
そのなごりは草をふく
おきなぐさ冠毛の質直
松とくるみは宙に立ち
  (どこのくるみの木にも
   いまみな金のあかぎがぶらさがる)
ああ黒のしやつぽのかなしさ
おきなぐさのはなをのせれば
幾きれうかぶ光酸の雲
   (一九二二、五、一七)

かはばた

かはばたで鳥もゐないし
(われわれのしよふ燕麦の種子は)
風の中からせきばらひ
おきなぐさは伴奏をつゞけ
光のなかの二人の子
   (一九二二、五、一七)

Go to Page Top